| 昭和24年3月 |
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現会長
小島信雄 (通称 脩) の発明考案による円形計算尺付き換算器の製造販売を開始する。 |
| 昭和29年7月 |
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業容の発展に伴い、有限会社コンサイス計算尺製作所と法人組織に改め、資本金50万円で継承する。 |
| 昭和31年2月 |
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江戸川区平井の現在地に新工場を建築移転する。計算尺の製造技術を活かして、精密定規や分度器等の製図用品製造の他、洋裁用定規および用品等の製造も開始する。 |
| 昭和33年8月 |
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増資により資本金150万円となる。 |
| 昭和34年2月 |
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組織および社名を、株式会社コンサイスと変更する。 |
| 昭和35年4月 |
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増資により資本金225万円となる。 |
| 昭和35年8月 |
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印刷工場が落成。 |
| 昭和38年5月 |
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増資により資本金450万円となる。 |
| 昭和38年8月 |
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鉄筋コンクリート3階建ての工場が完成。設備の近代化を図る。 |
| 昭和39年1月 |
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ビニールの高周波加工を開始。 |
| 昭和39年7月 |
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週休2日制をいち早く採用、第1および第3土曜日を休日とする。 |
| 昭和41年4月 |
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輸出部門強化のため、コンサイスインターナショナル株式会社を設立。 |
| 昭和42年7月 |
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海外旅行の発展を予見し、海外旅行用品の専門店
株式会社トコーを設立するため、資本金を1,000万円に増資する。 |
| 昭和43年1月 |
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鉄筋コンクリート4階建てのコンサイスビルを完成。併せて工場も4階を増築する。 |
| 昭和45年4月 |
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当社を中心とする関連会社の経営、技術、および新製品開発等の一元化を図るため、小島リサーチ株式会社を設立する。 |
| 昭和48年10月 |
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昭和45年以来コンサイス計算尺の最盛期を迎える。しかし石油ショックによる輸出の激減と、その後の電卓市場の低価格化によって計算尺の売上げが減少、企業転換を迫られる。 |
| 昭和51年1月 |
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企業転換の方向性を海外旅行用品の開発および製造に求め、積極的に推進する。キャッシュベルト、カバンベルト、パスポートカバー等のヒット商品として結実する。 |
| 昭和52年6月 |
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株式会社武田製図機械製作所の依頼によってその経営再建にあたり、株式会社トコーの協力を得て株式を取得。経営に参加し、わずか2有余年の期間で、その業績を安定させる。 |
| 昭和55年11月 |
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製図用品関連の事業展開を、デザイン用品とカメラワークを利用する加工サービスの新分野に求め、トコーが青山に新店舗を開店する。 |
| 昭和57年7月 |
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株式会社トコーの業績は旅行用品、デザイン用品事業とも好調に推移し、デザイン用品の店舗を銀座に出店して将来の多店化構想を図る。それに呼応する形で、当社は加工製造技術を活かしたステンエッジスケールやローリングスリーブカッター等、次々と画期的な商品を開発する。また、デザイン用品および機材の卸売りにも進出し、グループ企業の中心となる。 |
| 平成3年10月 |
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いわゆる「バブル経済」崩壊後、デザイン用品機材の需要が急速に下降線をたどる。当社は新製品自動改札定期入れ
(コンサイスパス) を開発。また、数々のアイデアあふれる旅行用新製品の開発にも成功し、事態の打開とさらなる成長に努める。 |
| 平成7年7月 |
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ブックカバーの開発プロジェクトが完遂する。従来の取引き先に加え、書店関連の取引き先を通じて事業展開ができるようになったことを受けて、そこに提供できる商品の開発および旅行用品の開発製造に経営の重点を置く。 |
| 平成10年7月 |
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この年、皮革製のパスポートカバーや3つ折札挟み等を市場導入し、海外旅行用品ラインアップの中で、さらにアイデア商品の種類を充実させる。 |
| 平成12年4月 |
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コンサイスインターナショナル株式会社にて、中国より皮革製品等の輸入を開始する。 |
| 平成13年3月 |
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長距離の移動中に同じ姿勢を長く取り続けることで発症するといわれる血栓症、いわゆる「エコノミー症候群」への対策として、フットレストハンガーを市場導入しヒット商品となる。 |
| 平成14年7月 |
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洋裁教材製造販売の三友教材株式会社を設立する。 |
| 平成16年6月 |
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大阪市中央区谷町に大阪営業部を開設。 |